2013年08月18日

初盆回り

大村三大夏祭りが終わると、今度は初盆回りです
昨年は後援会の会員の方が60名もお亡くなりになりました。
13日と14日ですべて回らせていただきましたが、
訪問先でいろんなお話を伺うことができました。
特に印象に残ったことが2件ありました。

1件は、交通事故でお亡くなりになったと伺った
おじいさんでしたが、県道の交差点で車にひかれたそうです
そこは以前から有名な諏訪の五差路という交差点で
交通量が多く地元の方々も心配していました。
いつもは家族が迎えに来るのにその日に限って
ご自分で歩いて娘さんの家に行ったそうです。
事故が起きてから信号機が設置されたことを聞いて
もしもっと早く信号ができてればと・・ご家族の
言葉に心が痛みました。

2件目は、先日黒木の川で遊んでいて川に飛び込んで亡くなった
八歳の少年のご親戚でした。おじいさんに会いに広島から一人で
来たそうで、何度も川に飛び込んで最後にもう一回飛び込んでから
帰ると言って一人残ったそうです
しかし最後に飛び込んだ場所がたまたま深い場所で・・
そこは県が管理する公園でもあり、自然の川ではありますが、
深いので「危険」などの看板があれば、このようなことはなかったのでは
というご親戚の言葉に胸が痛みました。すぐに担当者に確認したところ
すでに看板は設置してあるようですが、これも何かあってからの対応です

議員は地域の代弁者であり、地域の声を行政に届ける役目があります
私自身もっと地域の声を聞くべきですし、迅速な対応がいかに必要か
考えさせられました。なにかあってから動くのではなく
何かありそうだから行政に提案をすべきなのです。

15日はお墓参りに行きました。17年前に亡くなった母と弟のお墓と
祖父母と昨年亡くなった伯父が眠るお墓を家族で参ってきました。
墓前で手を合わせ近況の報告をしました。時々母と弟が生きていたら
どうなってたかと考えることがあります。もしあの時こうしていれば・・
今でも悔やむこともあります。初盆を回ってご遺族の気持ちを伺えば
同じ気持ちです。でも私たちは前に進まなければいけません。
故人もそのことを望んでいると思います。
私が政治家として父親としてしっかりがんばることが松本家の先祖の
ためと思い、また明日からもがんばろうと決意を新たにしたお盆でした。
posted by 松本洋介 at 09:49| Comment(0) | エッセイ

2013年08月16日

あぁ夏祭り!

私の夏は、大村三大夏祭りをやり遂げることから始まります。

一つ目は竹松地区のゆかた祭りです。十年前に竹松駅前の
商店街に学習塾松本学院を開設しました。そのこともあって
竹松商店街のゆかた祭りを手伝うことになりました。
今年は特に参議院選挙の投票日の前日七月二十日の開催です
いつもとちがって、その日は県議補選の応援で八時から十七時
まで長崎市で選挙カーに乗り街頭演説でしたあせあせ(飛び散る汗)
とにかく暑い!そして浜の町の人の多さ、街頭演説のやりがいがありました

その後大村に戻り着替えて祭り場へ、私の担当は本部での総務です
挨拶に来られる来賓への接待、受付にてプログラムの案内や迷子の呼び出し
他にもいろんなことを質問されるので、その対応をしていました。
いつもは歩行者のいない商店街もこの日ばかりは歩くのも困難な程
人であふれます。そして毎年企画されるプロによる戦隊ショーには
会場にあふれんばかりのお客さんです。けっこう内容がよいので
見入ってしまいます。そしてよさこいのコンテストでは県内外から
踊り子が集まり、最後の総踊りでは大盛り上がりになります
しかし祭りが終わってからが大変です。それから撤去作業を実施します
もともと商工会青年部は十数名しかいないので、銀行や郵便局の皆さんの
お手伝いも頂きながらですが、この日は朝から選挙の応援で体が疲れていたので
暑さも重なり、いつもの倍疲れましたふらふら

次は八月二日と三日の大村夏越し祭りです。青年会議所に所属しているのでこれも十年目に
なります。今年の担当は事業部会でTシャツ等のグッツを販売してその利益を運営費にあてる
という部会です。六月から大量のグッツをロータリーやライオンズの例会に持ち込み行商のように
販売するのですが、参議院選挙のさなかでしたので、何をやってるんだ!と怒られたことも
他にも全会員が寄付金集めの担当が三十件程あります。このお祭りの総事業費は1千万程
かかりますが、ほとんどを寄付でまかなっています。その資金を集めるのも年々厳しく
なっているのです。もちろん私も今年も担当をすべて回らせていただきましたが
毎年ご寄付をして下さる皆様に感謝です。設営や撤去は大掛かりなので青年会議所だけでは
できません。自衛隊の皆様がボランティアで毎年手伝ってくださいます。これもありがたいです
最後の総踊りではロープ張りを二時間していましたが、毎年多くの方に声をかけて頂きます
それが十時に終わって深夜まで撤去作業、そして打ち上げと・・毎年帰るのは朝方です

最後は八月十日、地元の福重夏祭りです。これは三年前からなんで夏越しと竹松は
手伝うのに地元の祭りはしないのか?というご意見を頂き、スタッフとして参加しました
この祭りは子どものころから楽しんでいて、今年は三十周年です(^^)ということで
特別予算を組み、ものまねタレントの「山本高広」(織田裕二のものまねが有名)さん
のショーがあり、過去最高の観客が集まりました。この祭りも地元の商工会で運営するのですが
十数名での運営です。特に子どもの頃から楽しませてもらったこともあり、地元への
恩返しの意味もあり、やりがいを感じます。担当は催し部会でステージ横でADのような
ことをしていました。そしてこの撤去も深夜まであせあせ(飛び散る汗)
ここの場合は青年だけでなく五十代や六十代の方々も運営や設営撤去に参加します。
できればもっと若い地元の方々にも参加して頂きたいです。

ということで今年も大村三大祭りが無事に終わりました。来賓ではなくスタッフとして
参加することで見えることや分かることがあります。毎年多くの市民が楽しみにしている
お祭りですが、影では汗だくになってボランティアで支えている方々がいます。
なんでそこまでするのか?私も聞かれますが、それは祭りを楽しんでいる皆さんの笑顔と
地域のために何かしたいという思いです。そして今後はこのスタッフに子どもの頃祭りを
楽しんだ若い方々が地域のために参加して下されば幸いです。
posted by 松本洋介 at 08:51| Comment(0) | エッセイ

2012年11月07日

叔父との別れ・・

先週末、突然父から電話があり「落ち着いて聞け、今日叔父さんが亡くなった」と
連絡を受けました・・そのような兆候が全くなかったので、まさに青天の霹靂
突然心筋梗塞で倒れ、その日に亡くなってしまったようです。

叔父である松本晃は、松本家の長男で父が次男、そして父の姉と妹の4兄弟でした。
祖父が市長選挙、祖母が県議選挙の時は長男として選挙を取り仕切り、
祖母が引退した後は、私より若い29歳という若さで県議に初当選しました。
2期8年務めた後、父に引継ぎ、東京で仕事をしていました。

私は大学で上京してから時々叔父に会うようになり
「洋介は私と同じ松本家の長男だから、しっかり跡を継いでがんばってほしい」
と励ましてくれ、結婚した時も子供が生まれた時も実の息子のように喜んでくれ
長崎に戻ってからも、父が政治家なので相談しにくいことも叔父が聞いてくれました。

ジェトロ(日本貿易振興機構)にも努めていた経験もあり、語学が堪能でした
長崎シンガポール・マレーシア協会の会長も務めていて、経済界に幅広い人脈も持っていました
しかし選挙になると血が騒ぐのか、いつも大村に来て応援をしてくれました。

今回の私の選挙にも叔母と一緒に大村に入り応援してくれ、いろんなとこを回り
総決起大会や最後の演説会にも参加して、挨拶をしてくれました。
当選した後に叔父が私にこう言いました
「選挙に当選すること政治家になることが目的になってはいけない、政治家になって
何をするかが大事だ。若いからできないということはない、むしろ若いからこそ
できることがたくさんあるんだ。僕は29歳でも十分県議が務まった。
だから洋介、自信を持ってやりなさい。おまえならいい政治家になる」と・・

また議員になった後も政争でもめている時も電話をしてきて
「洋介大丈夫か?先輩議員にいじめられていないか?
おまえはおとなしくて草食系だから心配だ。
いいか若くてもおまえは議員だ。先輩であろうと言うべきことは言うんだぞ!」
と不安な私をまたいつものように励ましてくれました。

幼いころから苦楽を共にした父や叔母達も突然の悲報に私以上につらいと思います
もっと話をしておきたかった後悔の気持ちでいっぱいです。
そして何の恩返しもできていません。今の私にできることは、松本家の跡取りとして
祖父や祖母、叔父や父のような政治家としての責務をまっとうすることだと思います。

選挙はボクシングのようなものです。松本家にとって叔父はセコンドみたいな存在でした
その方がいないのは寂しいですが、いつかはこんな日がくるのですから・・・
天国で祖父や祖母や叔父、そして母も見守ってくれていると思います。
期待に応えることができるよう、今日からまた改めてがんばります!


posted by 松本洋介 at 10:01| Comment(1) | エッセイ